鳥肌 | 今日のあしあと

鳥肌

昨日今日と録り溜めしていたビデオをまとめて見ました。最近映画よりもドラマを見ることが多くなりました。月9の「不機嫌なジーン」、「ごくせん」、「優しい時間」、「Mの悲劇」、「救命病棟24時」など、話のジャンルはさまざま。不機嫌なジーンとごくせんは何かコメディのようで楽しい感じで、「Mの悲劇」はシリアスで暗い感じ。優しい時間は「北の国から」を思い出させる感動系の話で、救命病棟24時は災害をテーマにした緊迫感のある話の展開。どれも違った魅力を持っていて、見ごたえのあるドラマだと思います。最近はNHKで放送されているドキュメンタリーものの番組やTBS系で放送している「情熱大陸」にもハマってしまっている限りです。  




 ●なんでこんなにドラマにハマってしまうんだろう?




ふと思ったこの疑問についていろいろ考えてみました。ドラマは映画と共通していることが多いけれど、ドラマは映画よりも話が長くてすぐに終わらない。何週にも渡って話が続いていく中で、毎回話の見せ場を作っていかなければならない。その見せ場が毎回用意されるのを見るうちに、「次も見たい、次はどうなるのか?」ということになっていくんだと思う。それが連続してハマってしまうんでしょうか?
 また、あらすじ自体、見ていて思わずグッとくるシーンもあります。それは真剣な場面で登場人物が泣きじゃくっていたり、それに近い涙ぐむ状態になったとき。あたかも自分がスクリーンの登場人物になったかのような感情移入をしたとき、次のように体が目に見える形で反応してしまいます。  




 ●本当に本気で感動したとき、鳥肌が立ってしまいます。
いきなり変なこと言いますが、ホントに立っちゃうんです、鳥肌。もちろん、体感温度が寒いときも、雰囲気的に寒くなったときにも鳥肌ビンビン立っちゃいますけどね。なんか感動したときって血が騒ぐような感じでワナワナってなって、熱くなってしまいます。そんなとき体が反応して鳥肌っていうような症状が出たりするんでしょうかねぇ?  




 ●映像の魅力
映像は漫画や本と違って、速読、飛ばし読みみたいな「早送り」が効きません。映像を早送りしてしまうと、たちまちセリフが途切れ、登場人物の心情の変化やセリフを言う「間」が消されてしまって分かりにくくなってしまいがちです。
 例えば映画館で見るとき、映画が2時間の話であれば、見る人全員が2時間同じタイミングで話を理解し、同じタイミングで驚き、同じタイミングで感動する場になっています。お互い見知らぬ赤の他人ではあるけれども時には登場人物に感情移入して、映画という映像を見ている間は同じ時間の中で共感し合っているような気さえします。
 こうしたことを考えてみると、映像の持つ魅力は奥が深いように思います。映画「ニューシネマパラダイス」にもあったように、映画が娯楽として発展していった背景には、こうした人が感じた感動を他人と共有し合えることが、なんともいえない充実感になっていたのかなぁと自分なりに勝手に解釈している次第です。
 とにかく、これからも感動することを忘れず、おもわず鳥肌が立ってしまうような体験をしてこうと思います。もちろん、その体験したこと、経験したことをただ自分の中にとどめておくんじゃなくて、そのことをさらに周りの人に伝えて、何かの参考や気づくきっかけになったり、共感していただけたりしたらいいなと思ってます。